小畑 真由美

おばた まゆみ
Mayumi Obata
大学卒業後、秘書として社会人生活をスタート。
その後、外資系企業などで秘書・総務・人事の仕事に携わり、最後に勤めた会社では21年間勤務しました。
会社員時代から「縁の下の力持ち」として、誰かが自分の仕事に集中できるよう支えることを大切にしてきました。
退職前にセルフケアを目的としてリンパ療法を学び始め、退職後、自身が股関節の痛みに悩んだ経験をきっかけに、改めて体を整えることの大切さを実感。
整体、リンパテクニック、温熱、頭蓋・関節・筋肉など、さまざまな技術を学びながら施術経験を重ね、現在もより良い施術を提供するため学びを続けています。
2019年、自宅の和室を改装して、女性専門 整体サロン『陽だまり』を開業。
現在は女性専門・一日3名様限定のサロンとして、お一人おひとりのお話に耳を傾け、その日の心と体に寄り添った丁寧な施術を大切にしています。
| 趣味 | 温泉旅行、ガーデニング、知らない街を歩き美しいものに出会うこと、美術鑑賞 |
| 好きなもの | お花、自然、健康グッズ |
| 好きな場所 | 稲毛浅間神社、公園、デパートのリビングフロア |
| 好きな食べ物 | トマト、お味噌汁、エビ、赤ワイン |
| 好きな言葉 | Be Happy Enjoy Life! |
| 性格 | 真面目、マイペース |
陽だまり物語
女性専門 整体サロン『陽だまり』が生まれるまで。
会社員として過ごした日々、両親との時間、自分自身の体の不調、そして整体との出会い。
今の「陽だまり」につながる、これまでのお話です。
- 01|「縁の下の力持ち」として、人を支えた会社員時代
- 02|両親と過ごした、かけがえのない時間
- 03|今度は、自分の体と向き合うことに
- 04|「痛みの無い生活はもう考えないで下さい」
- 05|整体との出会い。そして「ありがとう」の一言
- 06|父の部屋だった和室から「陽だまり」へ
- そして、これからも。


01|「縁の下の力持ち」として、人を支えた会社員時代
大学卒業後、日立製作所に入社し、半導体事業部の常務取締役付秘書として社会人生活をスタートしました。スケジュール管理、電話応対、接客、車の手配、ファイリング、お茶出しなど、秘書の仕事は多岐にわたりました。忙しいながらも、分刻みでいろいろな仕事をこなしていく毎日に、やりがいを感じていました。
その後、外資系企業で働くことを目指して秘書学校へ通い、医療機器会社、デルモンテ、投資顧問会社などで、秘書だけでなく総務、経理、給与計算、社会保険など、さまざまな仕事を経験しました。
そして最後に出会ったのが、米国に本社を持つソフトウェア関係の会社、CSC でした。
ここには21年間勤務しました。
入社当初は十数名ほどだった会社も急成長し、退職する頃には社員、契約社員、協力会社社員を合わせて300人を超える規模になっていました。私は人事部で、給与、社会保険などの福利厚生、就業規則の更新、オファーレターの作成、海外から赴任してきた社員の VISA 申請や銀行口座開設のサポートなどを担当しました。
人事の仕事で目指していたのは
「社員の皆様がフルに自分の仕事に集中できるようにサポートする、縁の下の力持ち」
であること。
今振り返ると、誰かが安心して自分のことに集中できるように支えるということは、会社員だった頃から大切にしてきたことでした。


02|両親と過ごした、かけがえのない時間
CSC で働いていた21年間には、家族にも大きな変化がありました。父が脳梗塞で倒れました。一度は後遺症もなく回復しましたが、その後再発し、少しずつ認知症状が現れるようになりました。入院と転院を繰り返した父は、最後の数ヶ月になると「ありがとう」と「大丈夫」という言葉だけを話すようになりました。
最後に会った日。
父はとても穏やかな顔で母と私を見つめ「ありがとう」と言いました。
父が亡くなった後、今度は母が元気をなくし、次第に家にこもるようになりました。
母が亡くなるまでの約5年間は、会社と母との毎日でした。朝、家を出てから帰宅するまで、母がずっと私を待っていることがわかっていたので、寄り道をすることもほとんどありませんでした。
認知症状のある母との生活には大変なこともたくさんありました。それでも、楽しい思い出もたくさんあります。母は乗り物や自然が好きだったので、週末には一緒に温泉へ出かけました。
自然の中を散歩して、温泉に入り、美味しいものを食べる。
旅の終わりには、母がいつもにこにこしながら
「また連れて行ってね」
と言いました。
その言葉が嬉しくて、次はどこへ行こうかと予約をして、それを楽しみに毎日を頑張りました。私は子どもの頃、とても甘えん坊で、いつも母の後ろについて歩いていました。私には子どもはいませんが、無条件の愛を知ったのは、この母と過ごした時期だったと思います。
私が何をしても両親が私を愛し、守ってくれたように、私も何があっても全力で母を守りたいと思っていました。大変なこともたくさんありましたが、今振り返れば、両親と過ごした日々はかけがえのない時間でした。

03|今度は、自分の体と向き合うことに
両親を見送ってから数年後、会社の状況は大きく変化しました。人員削減が始まり、親しくしていた方や尊敬していた方が対象になることもありました。人事として退職のパッケージを作成し、退職勧奨などを伝える場にも同席しなければなりませんでした。深夜まで仕事をすることも珍しくなくなっていました。
そんな中、あるインド人社員から、お子さんが生まれたという知らせを受けました。
ところが、その知らせを聞いた瞬間に私の頭に浮かんだのは、
「またか。面倒な」
という気持ちでした。
お祝い金の手配、健康保険の申請、保険証の取得、給与の手続き……。一連の事務作業が真っ先に頭に浮かび、すぐに「おめでとう!」と思えなかった自分に愕然としました。喘息持ちではなかったのに喘息も出るようになっていました。
そして、早期退職を決めました。
退職後は、それまでにたまっていた疲れが一気に出て、気がつけば眠っているような日々が続きました。病院にも通いながら、少しずつ体調を整えていきました。ストレスの多い会社員生活から離れ、ようやく自分自身の体と向き合う時間が始まりました。

04|「痛みの無い生活はもう考えないで下さい」
ある日、スーパーで買い物をしていると、突然、右の股関節に激痛が走りました。なんとか足を引きずりながら家に帰りました。しばらくすると痛みは嘘のように消えましたが、その後も何かのはずみで突然痛みが出るようになり、その頻度も少しずつ増えていきました。
評判が良いと聞いた整形外科を受診すると『変形性股関節症』と診断されました。
そして先生から
「痛みの無い生活はもう考えないで下さい」
と言われました。
ショックでした。
なんとかしてくれるところはないのか。
そう思っていろいろと探していたとき、通っていたスポーツクラブで、オーナーである理学療法士の先生による「体の悩み相談イベント」がありました。
そこで先生に相談すると
「痛みの無い生活はできない、なんてことはないよ」
と、即答してくださいました。
教えていただいたのは、4種類のストレッチでした。会社員時代に長時間座り続けていたことで体の前側が縮んでいて、そこを伸ばすストレッチを毎日続ければよい、という説明でした。
教えていただいたストレッチを続けているうちに、股関節の痛みはいつの間にか出なくなりました。生活習慣や体の使い方によって痛みが出ることがあること。そして、自分の習慣や癖を知ることで痛みを防げる場合もあることを知りました。
「あきらめなくて良かった」
今でも、この先生との出会いには感謝の気持ちでいっぱいです。

05|整体との出会い。そして「ありがとう」の一言
会社員時代、母が亡くなって間もない頃に、電車の中で「リンパ療法学院」の広告を見たことがありました。セルフケアが大切だと思っていた私は「リンパ」という言葉に惹かれ、軽い気持ちで説明会へ参加しました。
そこで初めて施術を体験しました。
施術後、体が軽くなり、スキップしたくなったほどでした。
その体験に魅了され、初級科、専科、師範科まで学びました。
その後、仕事が忙しくなったことで学院からしばらく離れていましたが、退職後、久しぶりに学院の先生を訪ねたことをきっかけに、今度は整体を学ぶことになりました。
最初は基本科だけのつもりでした。
ところが、学び始めると面白くなり、専科、師範科へと進みました。
バキバキするような施術ではなく、怖くない、安心して受けられる整体でした。
師範科修了後も、フェイシャル、温熱コテ・サーモファイヤー、筋バランスなどの講座を受講。
鍛錬会、研究会、学院のサロン研修にも参加しながら、技術を学び続けました。
サロン研修では、実際のサロンの準備からお客様対応、施術、片付けまでを経験することができました。
あるとき、腰、肩、首の施術をさせていただいたお客様が、帰りがけに笑顔で
「ありがとう。気持ち良かったわ」
と声をかけてくださいました。
本当に嬉しかったことを、今でも覚えています。
そして、私の整体の学びはここだけで終わったわけではありません。2018年頃からは、背骨へのアプローチによって体全体を整える整体を約3年間学びました。
さらに2020年末頃から現在まで、別の先生のもとでも継続して整体を学んでいます。ひとつの技術や考え方だけにこだわるのではなく、複数の先生方のもとで時間をかけて学び、それぞれの技術や考え方に触れてきました。
現在の陽だまりでは、そうして学んできた整体の技術とリンパテクニックを組み合わせながら、一人ひとりの体の状態に合わせた施術を行っています。今も学びは続いています。

06|父の部屋だった和室から「陽だまり」へ
その後、整体サロンを開業する流れが一気に訪れました。リンパ療法学院で仲の良かった友人2人が続けて開業したこと。勤務していたハローワークの部門が新宿へ移転することになり、通勤が遠くなってしまうこと。学院のサロン研修を通して、お客様に施術する自信がついてきたこと。
そして、自分自身が股関節痛を経験し「もう仕方がない」と言われても、体を整えることや痛みの原因となる動きを知ることで、状態が変わる場合があることを実感したこと。
もう一つ、心にあったのが両親のことでした。
父は足裏の痛み、母は膝の痛みで長く苦しんでいました。
「今の自分だったら、少しは楽にしてあげられたかもしれない」
そんな思いもありました。
ハローワークとの契約は更新せず、6ヶ月で退職。
自宅で開業することを決めました。
サロンに選んだのは、父が使っていた和室でした。
床暖房を入れ、襖を新しくして、施術をするための部屋へと整えていきました。
2019年7月17日に開業届を提出。
けれども、他人を自宅へ入れることや、自分の写真や名前を出すことへの抵抗があり、なかなか本格的な開業には踏み切れませんでした。友人に施術をしながら練習を続け、初めてお金をいただいたお客様は、大学時代のゼミで出会ったひろみさんでした。
2020年4月。
いよいよサロンを本格的にオープンしようと、15,000枚のチラシを3回に分けて配布する手配をしました。最初の配布で4、5名のお客様が来てくださいました。
ところが、4月7日に緊急事態宣言が発令。次の予約はすべてキャンセルとなりました。その後もしばらくは、チラシを配ると感染者増加のニュースが流れ、また休業するということの繰り返しでした。
そんな状況の中でも、少しずつ通ってくださるお客様とのご縁が生まれました。人数は多くありません。けれども、今来てくださっているお客様は本当に良い方ばかりで、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、これからも。
開業して終わりではなく、今も学びは続いています。
現在は整体を中心に継続して学びながら、リンパ療法学院の研究会にも定期的に参加しています。ひとつの技術や考え方だけにとらわれることなく、これまでに学んできたことを復習し、新しい技術や知識も取り入れながら、日々施術と向き合っています。
学んだことも、使わなければ忘れてしまいます。だからこそ、新しいことを学ぶ一方で、これまで身につけてきたことも繰り返し見直しています。
目指しているのは、お客様により良い施術を提供すること。体に不調があると、仕事でも家事でも、趣味でも、目の前のことに集中することが難しくなってしまいます。痛みや不調にわずらわされることなく、やらなければならないことにも、やりたいことにも、元気に取り組めること。
そして今の良い状態を、5年後も10年後も、その先も維持していくこと。
ぽかぽかと陽があたる縁側のように、ここへ来ると、心も体もほっとできる。
そんな場所でありたいと思っています。
お一人おひとりのお話を伺い、その日の体に向き合いながら、これからも心を込めて施術をしていきます。
お客様により良い施術を提供し、喜んでいただけるように。
これからも、日々精進していきます。
Be Happy Enjoy Life!
お客様も、私自身も。
健やかに、今を楽しみながら生きていけることを願っています。